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慈徳院 (織田信長側室) : ミニ英和和英辞書
慈徳院 (織田信長側室)[じとくいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じ]
 【名詞】 1. love 2. affection (for) 3. pity 
: [おり]
 【名詞】 1. weave 2. weaving 3. woven item
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [はた]
 【名詞】 1. (1) near 2. close 3. beside 4. vicinity 5. proximity 6. besides 7. while 8. (2) third person
側室 : [そくしつ]
 (n) noble's concubine
: [しつ, むろ]
 【名詞】1. greenhouse 2. icehouse 3. cellar, cell

慈徳院 (織田信長側室) : ウィキペディア日本語版
慈徳院 (織田信長側室)[じとくいん]

慈徳院(じとくいん、生没年不詳)は、安土桃山時代の女性。織田信長側室三の丸殿の生母。名は不詳〔岡田正人『織田信長総合事典』P169〕。
== 略歴 ==
滝川一益の親族と伝わり、一説にはその娘とも言う。信長の嫡男・信忠乳母を務めたことが縁で、信長の目に留まって側室となり、寵愛を受けて後に豊臣秀吉の側室となる六女の三の丸殿を産んだ。三の丸殿は結婚当時10歳前後であったと考えられる。また一益には信長の女婿とする説もあり、いずれにしても、織田家とは所縁が非常に深かった。
本能寺の変の後は、信忠を弔うために妙心寺内に大雲院を建立した〔ただし異説として大雲院は滝川一益の建立とも伝わる。〕。大雲院は信忠の法名である。兄に僧・九天宗瑞がいたとされ、この兄が大雲院の開山となったとされる〔。これは一益が建立した長興院と後に合併されており、同じく一族の津田秀政らも葬られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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